荒神山古墳国史跡指定記念シンポジウム

荒神山
11 /23 2011
2011.1.29 「荒神山古墳国指定記念講演会」、2011.10.15荒神山古墳国史跡

指定記念「ぐる~っと荒神山まちづくりシンポジウム」に引き続き、11月19日(土)ひこね

燦ぱれすにて、荒神山国史跡指定記念シンポジウム「大和政権、東国進出への足

がかりー荒神山古墳築造の意義を探るー」
が開催されました。

その内容は、
第1部 講演・報告

・「荒神山古墳の概要と発掘調査結果」
    彦根市教育委員会文化財部文化財課 林 昭男氏
・「水運と前方後円墳ー大和政権の対外政策ー」
    国立歴史民俗博物館教授   広瀬 和雄氏
・「古墳時代前期から中期への移行と佐紀古墳群」
    奈良県立橿原考古学研究所附属博物館学芸課長 今尾 文昭氏
・「昼飯大塚古墳とその時代ー東海西部の動向」
    大垣市教育委員会文化振興課課長補佐 中井 正幸氏

第2部 パネルデイスカッション
 テーマ「大和政権、東国進出への足がかり」
 コーデイネーター(財)滋賀県文化財保護協会副主幹 細川 修平氏
 パネラー 上記4氏・・・でした。


 シンポジウムの内容は、かなり専門的なもので、とてもうまくまとめ切れませんが、
 素人なりに、以下のような内容であったかと思います。
 なお、参加者は150人程度でした。
 
荒神山古墳の特徴 
 ・荒神山古墳:全長124mの巨大古墳で、滋賀県下2番目の規模
        古墳時代前期末(4世紀末)の前方後円墳
        (平成14年に存在が明らかになる)
        (平成15~21年度にかけて4度の発掘調査、整理調査実施)
        平成23年2月国指定史跡に
        彦根市では、「彦根城」「彦根藩主井伊家墓所」に次いで3件目の史跡指定
        南部地域では初めて
        山頂から琵琶湖側にのびる尾根を切断する形で築造
        段築(三段築成)、葺石(湖東流紋岩)、埴輪を確認
        レキ敷(川原石)のテラス
        琵琶湖からの眺望を意識した立地等

荒神山古墳が築造された時代背景・目的
 ・全国的な視点から
      前方後円墳は、見せる墳墓
      前方後円墳の共通性
        大きな墳墓、装飾的な墳丘、交通の要衝(水路・陸路)
        前方後円墳国家のメンバーシップをあらわす
        各地の首長層は、中央との結びつきを前方後円墳で見せた
      前方後円墳は、全国的に分布
      但し、巨大前方後円墳は畿内に集中

      荒神山古墳は、琵琶湖を見る・見せる標高280mの丘陵、124mの前方後円墳
      県内では、雪野山古墳(4C初頭。70m)→ 〇 →安土瓢箪山古墳(4C中期。
      136m)→ 荒神山古墳(4C末。124m)・膳所茶臼山古墳(4C後半。122m)
      と輪番に造られた

      全国的にも生活拠点のない場所での造営が多い
      中央政権の強い政治意志が働く
      首長の役割:食糧生産、祭祀+交易・外交、中央と地方の「もの」人の交通
      古墳時代は、水運が主要手段
      4Cは、朝鮮半島の鉄の獲得が課題
      4C以降は、南部朝鮮の動向にも注目

 ・奈良盆地(中央kら)の視点
      佐紀古墳群は、古墳時代前期から古墳時代中期
       巨大生、集中性、継続性、階層性が累積
       大和から北への出口
       大豪族主義
      古墳時代中期(4C後半)から百舌鳥、古市古墳群の巨大古墳の出現
      大和政権の直接支配領域・・・仏市古墳群
      
      佐紀古墳群は、淀川水系にもつながる

 ・東海地方からの視点
      昼飯大塚古墳(大垣市)を例に
       4C後半から末、大和政権との結びつきが強くなった地域
       3C末の雪野山古墳時代には東海地方では前方後円墳はまだ無い

 ・4C後半の時代
      東国(或いは朝鮮半島、中国との交易)への進出
      朝鮮半島での鉄の確保 丹後北陸

      荒神山古墳と湖上交通・・・琵琶湖を向いている
                   琵琶湖から最も勇壮に見える

      中央と地方の関係
      大和政権との関係
       規模から見て第2グループ
       大和政権に近い有力者の墓か?
      
      なお、荒神山古墳の造営の時期に地域集落は未だ無い
      荒神山古墳群ももう少し後の時代である

   このように、荒神山古墳は、畿内中心を守りつつ、大和政権の東国(或いは北陸)進出
 への足がかりになった可能性は大変強い
  
  (以上のような内容であったかと思います。)
  
  その意味で、荒神山古墳にかかる研究に期待は待たれるところです。
  また、被葬者は果たして誰なのか等関心が高まるところでもあります。
  これらの専門的な研究は今後に委ねることとして、

  我々周辺地域住民としてのこれからの課題は、

  荒神山古墳をどのような形で保存し、後世に残していくか

  荒神山古墳を南部地域の振興にどう生かしていくかにあると考えます。

  今後今まで以上に、荒神山に関心を高めていきたいものです


シンポジウムの様子
H23.11荒神山シンポ

荒神山古墳の位置
img01_zoom[1]
 

  

       

   




      
       
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